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東高校門あたり



 今年、平成16年6月23日は東高創立81周年の創立記念日ということでした。
 鳥取第二中学校は、「文部省告示第467号(大正11年6月20日)によると大正12年4月より開校の件許可されているので、大正13年の2年に、今年は昭和79年になるので(西暦2004年から25を引いた端の数字が79となる)79を加えて計81が出てきます。  昨年の創立80周年記念の事業で、校門前に『しののめ館』ができました。2階建てで、2階の一部に同窓会資料室も設けられています。 ここは同窓会館が建ててあった場所で、整地をしたとき「五輪さん」が出てきました。「五輪さん」というのは、昔の人の墓石で誰かがまつられていた印です。
 昭和24年のころは。このあたりに正門に向かって左側は凹地みたいで、ゴミ捨て場にもなっていたようです。時に、何か醤油の滓みたいなものが捨てられたりして、これが随分匂っていたこともありました。そのうち埋め立てられ、まず昭和27年に、同窓会の30周年記念事業の意識で、畳敷きの徳田記念館が、同窓会40万、PTA60万円負担で作られました。各種会合はもとより、運動部の合宿などいろいろ有効に使われました。徳田記念館は現在は研修館となっています。
思い出のある方も多いのではないでしょうか。
 昭和38年には、その隣に同窓会館が、創立40周年記念事業として作られましたが、この建物が今回創立80周年記念事業の一環として建てかえられ、「しののめ館」となったわけです。
 道路をへだてて反対側に食堂がありますが、これは昭和36年12月に落成(全額PTA負担)で、ずい分古くなりました。この時道路沿いにイチョウの苗木を植えました。−私も植えるのを手伝った覚えがあります−それからもう40年以上経つわけで、大きな樹になっています。秋には黄色くモミジし、葉が落ちるころには、道路一面黄色の絨毯を敷きつめたようになります。また、銀杏の実が落ちるので、それを拾いに来る人も毎日、何人かあるようです。
 食堂の向かって左側の一部が購買になって文房具類、パン、飲物なども売っています。
ここらあたり杉の木がありました。一、二本は残って大きくなっていますが昔の橋から正門に至る道路沿いに植えてあったものだそうで、この杉の木が切られてない間は学校祭のアーチ用に枝を切って使ったりもしていました。
 玄関あたりに松が植えてありますが、二中創立当時、高橋重友先生(柏8)が、お兄さんの富山義直先生(柏1)とリヤカーで運んで来て植えたと言っておられた樹ですが、残っているでしょうか。枯れた樹もあるようですが。創立60周年記念事業(前庭、並びに憩いの森)で、松を補植しましたが、中にはあまり元気でない樹もあるようです。ここに松を植えることについては、柏2内田稲吉氏が、マツクイムシの関係を考えて松紅葉(マツモミジ)になるからだめだといって大反対をしておられたのを思い出します。
 今は建て替えられて、なくなりましたが、玄関に向かって建物の右端に鉄筋校舎がありました。これは、鳥取県下で最初の鉄筋校舎でした。三階建、六教室 昭和30年に落成しました。工費1200万円。しかし、地元負担金が必要で、PTA70万円、篤志寄付40万。この金を集めるため、東高を卒業し、当時学生であった私たちのところまで、募金の依頼が来たりもしました。今では考えられないことではないでしょうか。
 出来上がった昭和30年には、3年生となった7回生がまず最初の生徒として使用しました。
しかし、平成5年ごろから校舎の増改築が始まりグランドに仮設校舎を建てて、生徒はそちらで勉強するようになり、いわゆる<旧鉄筋>は取り去られ、平成6年7月、管理棟完成、保健室・職員室などに姿を変えました。