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創立当時の東高祭



 今年第53回東高祭が、祝創立80周年記念と銘打って、7月12日〜14日の3日間行われました。近頃の東高祭は体育大会も含めて、3日間で行われるようです。
第1日は、昔の家政高校(今の鳥取女子高校)の前にできた県民文化会館を借りて、弁論、外部講演、筝曲、吹奏楽、演劇、各クラスの合唱コンクールを行い、また展示室ではクラブ展示が行われました。(美術、書道、写真、華道) 第2日は学校でファッション、ミュージックファクトリー、アトラクション、カラオケ大会、模擬店。同時にクラブの展示。(科学、写真、部落解放研、英語、文芸、家庭) また、今年にかぎって生徒会特別企画の鳥取東高歴史展示−写真でつづる八十年のあゆみを第3日まで第2体育館で。第3日は体育祭。もっとも、このごろは、シンボル(張子)を作っても、それに火をつけて(ファイヤーストームをするために)燃やすことができなくなり、時に紙を剥がして火をつけて燃やしたりしてみましたが、結局、現在では作らないことになりました。しかし、今年は特別に、生徒会執行部が一つ作ったようです。
 東高の日程は昭和50年ごろには、体育祭も含めて二日半。(第1日目の午前中は授業をして正午開会式)というスタイルでした。日程の長さにいろいろ紆余曲折もあったようです。しかし、東高祭はどんな日程でもその時代の生徒の情熱の盛り上がりであり、青春の花開き、そして生命が煌いていた眩いばかりの一刻ではなかったでしょうか。
 それでは、創立当事の東高祭を思い出してみたいと思います。−こんなことができたのか!

昭和24年(1949年) 『第一回秋季大運動会は、10月9日(日)第二グランドで開かれた。生徒を主体とした運動会準備委員会によって、準備、練習に日を重ねてきたが、天候が悪化、ついに午後1時半中止された』『鳥取東高創立記念行事としての文化祭は、生徒を主体として合同協議会で決定した。一週間ぐらいにまとめて、校舎別にやることが、9月の職員会議で決められていた。』
 第一回東高祭日程 <東高校記念文化祭>
11月4日 学術発表会(第一校舎講堂)
11月5日 演劇、舞踏発表会( 〃 )
11月6日 弁論大会、音楽会(第二校舎)
 この期間中展覧会(第一、二校舎)
『初年度のことで若干の準備不十分な点はまぬかれ得ず、次年度に於いて最も盛大となった。』
(創立五十周年記念誌より)
昭和25年(1950年)
 第二回東高祭日程
10月 8日 大運動会 於工業科グランド
10月 9日 祝賀提灯行列
10月10日 音楽会 於工業科講堂
10月11日 弁論大会、研究発表会、映画
 於普通科講堂
10月12日 演劇発表会 於工業科講堂
10月13日 コート開き庭球・排球大会
 於普通科コート
拳闘試合 於工業科講堂
10月10日〜12日 文化祭展覧会 於工業科校舎
12月上旬 農業祭 於農業科校舎
 全期間中バザーあり。
 昭和25年10月8日付の東高学園新聞(10号)をどういうわけか小生が持っているのでこれを参考にして諸行事を思い出しながら紹介してみます。
 10月7日 運動会前日。
 『宣伝隊は新装なったトラックに乗って7日午後3時、楽隊のリズムに合わせながら市中行進し新聞部特報のビラ、又学校当局の宣伝ビラをまき大声で口々に叫びながらその宣伝につとめた。続いて午後四時から第二回の宣伝隊を繰り出し校歌を唱いながらトラックで市内を廻りビラをまきその宣伝につとめた。』(東高学園新聞記事より)
 10月8日 大運動会、於工業科グランド。
 国道の入口には、門をかまえ、杉の葉で飾った緑門が作られた。校舎のあちこちには、大狸、3米以上の大キリン、山羊など次々に現れ、(我々2Bの大虎は普通科から皆でかついで運びこみました。)会場には満艦飾の小旗が思い思いのものが準備され張られていました。  『愈々当日を迎えるや運動会気分はいやが上にも場内に漲り、その歓声は遠く久松山麓にこだました。昔を偲ぶ大井川の渡し競争、器械体操、吉田首相、山田のバーチャン出現の似顔絵、二重円の平和音頭、集団体操、等々。実に五十に余る体育絵巻は全校(普通科、工業科、農業科)を挙げての喜びと楽しみの交響楽の中に滞りなく遂行され会場狭しと集う幾千人に恐らくそれぞれの角度より深き印象と感銘を与えたことと思う。』(運動会を顧みて、体育教官室。「提携」創刊号より)
運動会終了後は自然発生的にファイヤーストームがそれぞれの張子の下で行われました。  <天をこがさんばかりの大火を燃やし>−張子だけでなく、かなりの校庭周辺のゴミを燃やしてあたりをきれいにしたようです。フォークダンスの練習などありませんでしたから、ただ皆で火を囲み、デカンショ節、ノーエ節、応援歌、などをくり返し歌ったようです。

 担任のM先生は『あんたらあは、酒も飲まずにようやんさるなあ!!』運動会には、M先生の奥さん、小さい子供さんお二人とも一緒で、ハリコの虎の前で記念写真をとっています。女物の着物を着たりタスキを掛けたりしている級友もいます。だんだん盛り上がって来て歌ったり踊ったり先生方を胴上げしてまわったり運動会の夜の興奮はなかなかつきることがありませんでした。
 10月9日 東高祭、前夜祭、祝賀提灯行列。
 『工業科、機械科の誇りとしている自動車を繰り出して、宣伝に当たり10時、1時、4時の三回に渡って仮装した人々を多数のせ日本海新聞特別奉仕の宣伝ビラをまき、男生徒のフラダンスや、女装チャップリン、寛一お宮の外に多数くり出して大々的宣伝にあたる』
『盛大に開かれる東高祭を少しでも多くの人々に見てもらう為渉外宣伝係では本校所有のトラック二台を仮飾(花電車)市中を宣伝して回ることに決定しその威力が大いに期待される。』
走るぞトラック花自動車
『東高祭が目前にせまり両車共出品すべく先生、生徒は土・日曜も出校し徹夜の日々など、夜風が身にしむ月光りの下での修理も続けられている車はフォードの1932年型四気筒であるが乗り心地は上々とのことだ。第二車はニッサン製2600。1940年型六気筒で俗にドンビキ型と称され、戦時中大活躍したもので・・・。』
夜は提灯行列。先頭はトラック、楽隊についで、全校生徒の提灯行列。男生徒、女生徒共ローソクを三本くらい持って末広通り、駅前、智頭街道、若桜街道、大工町通りなどを練り歩いた』
10月10日 音楽会、工業科校舎講堂
音楽部(七十余名)の大合唱団が主で、モーツァルトのグローリア、オペラローレライより抜粋、その他、3時間の大合唱。その他のルームの合唱団の発表。
10月11日
○弁論大会 参加人数二十数名。これは東部地区大会出場をかけての一戦。大会中に放送式討論会。「個性と社会生活」がテーマ。9〜12時の3時間。一人7分。○研究発表 人文科学部門「意志論」、自然科学部門「サビの研究」「空気中の微生物の培養」「日本海新聞活字及び自作品の研究について」など。○映画上映 映画部のCIE映画上映。普通科講堂。
10月12日 東高祭、4日目。
○演劇発表会 於工業科講堂。
「竜の落とし子」普通科2A。原作真船豊。演出郡孝幸(1時間)/「ヴィーナス」普通科2B。演出塩川彰。主演倉恒貞夫(1時間)/「ポール氏とマリー嬢」普通科3C。原作3C/演劇部「マクベス」シェークスピア原作。四大悲劇の一つ(二時間)/「蘇る面影」演出菊川(一時間半)/ダンス「青きドナウ」(6〜7分)/「世界は一つ」世界平和・世界統合理念を描いたもの(20分)/「醜きアヒル」物語をダンス化したもの(15〜20分)以上ダンス部。 演劇部はシェークスピアものを次々に手がけ発表し、県の演劇発表会でも常に上位を占めていた。
 10月13日 東高祭、第5日目。コート開き、庭球・配給大会、普通科コート。
○拳闘大会。工業科講堂。当時は生徒間にも拳闘が盛んであって、厚手の兵隊用の手袋などを利用して休憩時間などボクシングシャドウなどもやっていた。普通科の生徒控所にもリングが作られたり、ボクシング部も大活躍で、モスキート級の選手権を全国大会で取ってきたといわれていた。
 10月10〜12日 文化祭展覧会(11クラブで、その外映画部上映会のCIE映画上映会が11日に行われた)3日間、普通校舎。
○社研展。社会研究部。古墳のパノラマ、出土品の展示、統計教室(生徒の学校生活の統計(読書、思想、小遣いなど)、鳥取市在住人口の移動状態など。○新聞展 新聞発行までの行程。日本海新聞社、日の丸印刷等の協力による種々の実物の展示。○工芸展 山、川、大都会のパノラマを自在にかけ廻る種々の電車、電気自動車。○美術展 出展数80点、洋画12点。日本画7点、水彩画60点。一般作出品とクラブ員の作品。○短歌展 部員の短歌作品を一人五首あて展示。鳥取市内の短歌グループよりの代表歌人3人に出品してもらう。中央有名歌人の短冊を展示。有名歌集多数展示。
○書道展 出品は本校部員は勿論、連盟を通じて西高、家政高、八頭高、市内四中学にも。○写真展 部として生まれて間もないクラブでクラブ員も少ないが作品30点。○華道展 ただ単に花を活けるだけを目的とするのではなく、若い人達にピッタリ合った意義のある作品を出品する。○図書展 10月9日より6日間図書室で行う。特に製本の順序について解り易く展示。○茶道展 腕自慢の茶道部ではこの機会にと全神経をただ「お茶」に集中させている。○園芸部 園芸クラブは当季節の花ダリアを中心とした展覧会で近郊で集められ得るダリア品種を網羅して生けるダリア図鑑ともいうべきものを示す。会場は北校舎東階段下の音楽室○映画展 世論調査を基準に学生と映画の関係をグラフで示すなど。
 展示会場は、全校の教室を使用。机、椅子を片付けていった。新聞、美術など一つのクラブで教室を2から3も使うものがあった。
 学校祭準備には、当時五日制であったから(本校は昭和31年まで五日制であった)土、日はもちろん、時には早朝、あるいは夜遅くまで、時には学校に泊まって作業をした。
展示会の二、三日前ごろからは、女子生徒もかなり学校に泊まった。茶道部、華道部の女子の生徒が畳のある部屋に泊まっていて、そこへ、生物の標本のガイコツを持って、おどかしに侵入した男子数名が、女性軍に迎え撃たれて、ほうほうの体で逃げ出したこともあった。又、夜泊まって仕事をする生徒のために全校に呼びかけてサツマイモを持って来させ、――それが玄関を入ったところに、ムシロをひろげて置いてあり、勝手に自由にもらって行ってバケツで火を焚いて、焼いて夜食にした。――木造の校舎の中で、バケツで火を焚いたのだから?! これらは、生徒各自、クラブ又は生徒会各自の責任で、先生方の巡視だとか、干渉だとかあったおぼえがない。  東高祭の企画、立案、実行などは、三校舎全体の生徒会、又は、各校舎の自治会にまかされ、その責任で行った感じであった。ほとんど生徒会主体という感じで行動していたようである。
東高祭バザー
 10月8日より東高祭バザー。これが自治会運営資金獲得を目指して行われる。昨年は、各クラブ資金カンパのために濫立したが、自治会の名で統合開催することになった。
 家庭科クラブの女生徒50名が従事。運動会当日は校庭に三ヶ所売店を開き、講堂の半分に紅白の幕を張って食堂部分と調理部分とした。  バザー券は一枚20円。うどん、ライスカレー、コーヒー(ケーキ付)、その他ラムネ、アメ、菓子、パンなど。
 他の期間中は校舎毎に食堂を置き(普通科は9ルーム)、近くに売店を設けた。
 普通科グランドの庭球、排球コートの整地はこの後も続き、生徒の手で土入れ、ならしなどを続けられたが、次年度東高祭近く9月10日、1年D組が松保村で土取り作業中土砂崩れが発生、生徒3名が生き埋めとなり、うち一名死亡の大事が起こった。このため、哀悼の意を表するため自治会生徒会は運動会・東高祭を中止した。
 そしてこの年の予選会は、二日間行った。